Kayoの気まぐれ携帯ジャワ日記

ハルトノさん

1月14日(水)

とうとう帰国前日となってしまいました。今日は午前中に様々な用事を済ませ、夕方はレッスン、そして夜はマンクヌガラン王宮横で行われているBapak2(おじさん達)のガムラン練習に出るつもりです。そこで教えている王宮の音楽家ハルトノさんについては去年も書きましたが、私がもっとも尊敬する音楽家の一人でもあります。1年半程前に体調を崩されたこともありましたが、今はすっかりお元気になられ、先日の演奏会ではそれはそれはhalus(上品)な太鼓を聞かせて下さいました。週2回行われているこの練習では毎回とても熱心に指導なさり、外国人にも常に挑戦の機会を与えて下さいます。最近は以前より若い初心者が増え、その為にハルトノさんも大忙し。先日の練習では、おそらく芸術大学の卒業生(学生?)であろう目の見えない男性が参加したのですが、彼にも様々な楽器に挑戦させます。彼はたくさんの曲を記憶しているのですが、さすがに完全にというわけにはいかず、彼がボナンという旋律をリードする楽器に入った時、ハルトノさんはルバブ(胡弓)を弾きつつ、逐一基本旋律を「2123」などと彼に伝えていました。誰にでも分け隔てなく接して下さるので、頼りにしている人も多いようです。最近は健康に気をつけているとおっしゃっていましたが、いつまでもお元気で活躍して欲しいものです。

…というわけで、今回も読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。間違いや言葉が足りないところなどありましたら、すみませんがいつでもご教授をお願いします。今回のわずかながらの成果は、また日本でいつか披露できればと思っています。それでは、また日本でお会いしましょう。

kayo

懐かしい友達

1月13日(火)

今回のジャワ滞在も後1日となってしまいました。約1ヶ月弱の滞在でしたがあっという間でした。今回もたくさんの友人達と再会することが出来ました。以前私の下宿の後ろに住んでいて、始終トントンとワヤン人形を作っていたC君はその後引越してしまったのですが、先日大学近くで偶然再会しました。何でもジャカルタのボゴールでワヤンを教える仕事についたとか。また、去年私がバスの座席から滑り落ちた時に通路に寝ていた為に下敷きになっちゃったW君は、その後大学を卒業して田舎に帰ったのですが、先日ソロに来たついでに私の家に寄ってくれました(恋人と一緒に!)。彼はクラテンの出身ですが、バニュマス地方の芸術高校の先生になれるかもしれないと話していました。私と顔が似ていると言われるR君は、卒業後もまだ田舎に帰らずソロに残り、更に勉強を続けたいけどその前に仕事を探すかも…と言っていました。どの子も大学を卒業すると、長髪だった男の子はなぜか一様に髪を切り、ちょっぴり太ってたくましくなって大人びてきます。彼らが今後どんな道を歩んでいくのか、中には将来のソロを背負って立つガムラン奏者がこの中にいるかもしれず、楽しみです。(何だか母親のような気持ち…です。)

ジャワのバリ・ガムラン

1月11日(日)

昨日の夜は芸術大学の吹き抜けイベント会場へ、「GONG KEBYAR SE-JAWA」と呼ばれるバリガムランのコンサートを見に行きました。演奏するのはジャカルタ、ジョグジャカルタ、そしてここソロの芸術大学の先生達という、どれもジャワのグループ。ジャワ人と、ジャワに住むバリ人が入り交じっての演奏です。ステージには3つのグループが並び、演奏、踊り、そしてまた演奏と3部構成で各々がやるので見応えたっぷり。しかもまるで競い合っているかのように司会が盛り上げるので、演奏にも熱が入っていました。ジャワ人がおおかたを占めているとはいえ、やはり同じインドネシア人、演奏は見事なもの。いつもはジャワのゆったりしたガムランを教えているソロのお馴染みの先生達も、今回はバリ人になって颯爽たる演奏ぶりでした。もちろん、何人かいらっしゃるバリ出身の先生達は実にカッコ良かったです。それにしても、大学の先生達は、授業や様々な雑務の他にも、こうしたイベントに参加する為日々色々な練習が入っていたりして大変だなあとつくづく思いました。

○×ではない世界

1月9日(金)

昨日も今日も、激しいスコールが降り続いています。こちらでは、1月は'毎日雨の降る月'と言われています。インドネシア語でHujan sehari-hari(毎日、雨)だから略してJanuari(1月)と言うそうな…(親父ギャグです)。
ところで、今回様々な先生に質問しているうちに、印象に残る共通の言葉があります。それは「ジャワの音楽に間違いというのは無い」。そして、大事なのはrasaがenakかどうかということ。rasaについては以前も書きましたが、enakは'美味しい'という意味なので、つまり演奏していて美味しいか、気持ちが良いかというのが重要なのだそうです。だから極端な話、たとえ正当的ではないやり方でも、ある人がそれを始めて皆に'美味しい'と思われれば、それも正しいということになるのです。これはガムラン音楽に限ったことでは無いのかもしれませんが、とかく○×思考に馴染み過ぎてしまった日本人には少々発想の転換を強いられます。そしてもう一つ、こんな話も聞きました。ジャワ人はあまりに正し過ぎる満点の演奏よりも、ちょっと間違いがある位の演奏を好むと…。これについてはどう思います?

(オレも enak!)

フランス公演のワヤン練習

1月7日(水)

先日の夜は、前述のプルボ氏宅で、3月末に行われるフランス公演の為の第1回目ワヤン練習がありました。フランスでは影絵芝居ワヤンの他にガムランの新曲、そしてススフナン王宮の踊りも披露されます。その為、芸術大学ISIの先生方の他にも、王宮の音楽家で日本でもお馴染みのサプトノ氏等もメンバーに加わっていました。この日は初練習ということで、皆楽譜を見ながらワーワー言いつつ練習していました。プルボ氏は、足でジャラジャラ金属板を鳴らしながら、間髪入れずに次々と曲の合図を出していきます。間の長い繰り返しははしょってどんどん進むので、目まぐるしいこと。ああ〜、これだ、去年のプルボ氏日本公演の練習の時もこうだったなと、その時の状況が蘇ってきました。後ろの楽隊がまごまごしていても気にも留めず次々と進みます。ほんのわずかのお茶タイム以外、練習に無駄な時間はいっさいありません。でも演奏している先生達は何だかとっても楽しそう。本番ではこれにアドリブがたっぷり入るので、練習とはまた違ったものになるのでしょう。まだ本番まで3ヶ月近くあるのに、なかなか熱のこもった練習でした。

変化する街ソロ

1月5日(月)

私は去年の3月末以来、約9ヶ月ぶりにソロに来たのですが、1年も経っていないのにここでは様々な変化がありました。まず、バス代が以前の2000ルピアから2500ルピアに値上がりしました。エアコン付きは3000ルピアで、心なしかエアコン付きが増えたような気がします。また、あちこち改装されて綺麗になっていました。町中央にある骨董市場やスリウェダリと呼ばれる遊園地の表門はただ今改装中。前回ほぼ毎日朝食で通っていた大学近くのお店も、突然改装されて大きくなっていたからビックリ。他にも、外国人が好みそうなちょっと小洒落た店が突然増えたように思います。昨日行ったマンクヌガラン王宮東側の練習場も、天井や床、照明などが新しくなり前より明るくなっていました。人の変化も激しく、以前住んでいた大学近くの下宿回りの友人は皆引越してしまい、知らない人ばかり。前回とってもお世話になったバニュマサン仲間の友人エコさんも地元バニュマスの芸術高校に無事就職して田舎に帰っちゃったし、ある学生にはいつの間にか子供が出来ていたり…。ま、それはともかく、ここでは日本の1.5倍位の速さで物事が進んでいる気がします。日本が高齢化していることも関係しているのかな?ここは若い国という印象を受けます。

プルボ氏宅訪問

1月4日(日)

昨日は、去年7月の自主公演の時に日本に招聘した影絵芝居ワヤンの人形遣いプルボ・アスモロ氏のお宅を訪問しました。日本でお会いした時と同じさわやかな笑顔で迎えて下さいました。本番のDVDなどお土産を渡し、お礼を言った後であらためて日本公演の感想を聞くと「バグースbagus(good)」の答え。今後更に良い公演にする為に、何か問題があったら教えて下さいと重ねて尋ねたのですが、本番の人形遣いが座る場所とスクリーンの位置が全体にもう少し高い場所にあるともっと良いと言う以外は、とにかく「バグース」としかおっしゃいませんでした。若干の演奏の間違いは問題ではない、日本の観客はとても熱心に見てくれて素晴らしかったし、スクリーンも音響も良かったと言って下さいました。正直な感想だよ…と念を押していらしたので、本当に満足していただけたようでホッと一息です。続いて、彼が今ワヤン・ゴレ(木掘りの人形)でマハーバーラタやラーマーヤナの物語を演じる計画があることについて聞かせてくれました。普通ワヤン・ゴレでは別の物語を上演することが多いので、ラーマーヤナやマハーバーラタの為に新しいスタイルの人形を注文しているとのこと。1セットの人形が出来上がるまでには時間がかかるので、実際に本番が見られるのはまだ少し先のことになりそうですが、プルボ氏の頭の中は今そのことで一杯という様子でした。日本にいらした時の印象と同じく、とにかくどこまでもワヤンが好きで、細かいことや過去のことはあまり気にせず、仕事のことを始終考えている…、そんな芸術家魂をあらためて感じさせられました。

(プルボ・アスモロ氏)